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時代を牽引した一人の天才 ―Steve Jobs氏 追悼―

2011年 10月 06日 15:37 | カテゴリー: プライベート
2011年 10月 06日 15:37
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今朝起きて、つらつらとネットニュースを見ながら、一つの記事を目にした。「アップルのジョブス氏が死去」。数年前より煩っていた膵臓がんで一度引退したが再度復帰し、また先日CEOの座をTim Cook氏に委譲し、療養中だったところ、5日に亡くなったとのこと。

現在のiPhoneやiPodなどで一般にも知れ渡ったAppleの創設者である彼が、時代の節目に革新的デザイン、斬新なアイデアで常に世の最先端を走ってきたことは、知られた事実でしょう。

 

黎明期

思えば、Appleの製品が日本に入ってきた当時は、秋葉原でも4店だけ(イケショップ、九十九電機、亜土電子工業、もう一つは忘れた)の扱いしかなく、しかも高額(他に比べて「0」が一つ多い)で、OSも英語のみと言う海外製パソコンでしかなかった。この頃はまだ輸入代理店も多数有り、半ば個人輸入と変わらなかった。売っていたのはApple IIシリーズ。タイプライターのようなキーボード一体型の本体に小さな緑のディスプレイというのが見た目の印象。しかし、標準でグラフィックを表示できる性能があったこと、フロッピーディスクに対応したことなどが、大成功の礎となった。

このApple IIには上記2点の理由から、ゲームはもちろん、表計算プログラムを一般的にしたという記述もある。つまり、ソフト開発のサードパーティを巻き込み、ソフトをフロッピーベースで売れるようにして、なおかつ業務用ではなく敷居を下げて一般の手に届く値段にしたことで、ホームコンピュータという新たなジャンルを生み出すことになります。

次の革命はLisa。これがパーソナルコンピュータのOSではじめてGUI(グラフィカルユーザーインターフェイス)によるオペレーションが可能になりました。今でこそ、Windowsでも当たり前になったアイコンベースのOSは、このLisa OSから日の目を見ます。

パロアルト研究所(確か医療関係の開発業務をやっていた)に見学に行ったJobs氏は、ここでGUIの原型を見て、パーソナルコンピュータに組み込むのが必須だろうと画策する。ポインティングデバイスであるマウスもこれが発端で、こうした医療機器に使われる、つまり誰でも簡単に使える1ボタンマウスを開発したのもAppleが最初。

しかし、Lisaは日本に入ってきたころは確か200万を超えていたはずで、しかもOSは英語ときたものだから日本では売れるわけがありません。もちろん本家米国でもその高額さ故に商業的には失敗しています。

 

Macintosh登場

そしてローコスト版が必要と言うことで、平行していたゲームマシンプロジェクトとも言えるMacintoshの開発に突如乱入。LisaプロジェクトだったためにMacintosh開発から外されていたJobs氏が、Lisaを上回るコンピュータへと開発に働きかけて、1984年に知る人ぞ知る伝説のCMで鮮烈デビューをしたのがMacintoshだ。

Lisaを小型化したような愛らしい個体に、当時のIBM PCを遙かに凌駕する性能、GUIとマウスによる簡単操作、イジェクトボタンを廃したオートイジェクトのフロッピードライブなど、デザイン、操作性共に最先端を行ったパソコンだった。

さらにここでも一世代気づいたものがある。キャノンと共同開発のLaser WriterによるDTPの世界だ。小さな画面ながらWYSIWIG(What you see is what you get=見たままをそのまま)を実現し、文字にはアウトラインが採用されたために、自由なサイズで印刷並みの高解像度が得られたプリントは、「美しい」そのもの。この共同開発から日本語化も進められ、Aldus社のPage Maker(Adobeに買収された)とも相まって、今日のDTPの基礎はできあがったと言っても過言ではない。

このWISIWIGの効能は、デザイン業界でも重宝され、当時の印刷業界は戦々恐々としたものだ。マシンパワーが足りずにIBM PCでは成し得ないことで、VisiCulc(後のExcel)、Free Hand(Aldus社のデザインソフト)、Photoshop、Illustratorなどなど、優秀なアプリケーションが出てくることで、Macintoshは数こそIBM PCには及ばないものの、地位は確立されたと言える。標準でもMac PaintやMac Wordがあったので、WISIWIGを体験するには買ってすぐに使えた環境がうれしいところ。

初のカラー機はMacintosh II FXで、13‘カラーモニターとキーボード入れると300万を超えていた。Laser Writerとアプリケーションを入れると軽く500万ほどにはなる。当時は「高級車とMacintosh、どっちを買う?」なんて冗談もあったくらい。

 

思い出のMacintosh達

FXと同時に出たのがMacintosh SE。自分で買ったのはこれから。すぐに銘記SE/30が出て買い換えた。これが、1986年くらいかな?その後もいくつか買い換えたが初のカラー機はMacintosh Si。コンパクトで良かった。そしてモトローラ最後のCPU、MC68040搭載のMacintosh Quadra840。Power Mac(4桁番シリーズ)だけは買ってない。この頃はPower Bookにはまっていたから。Duoのドックとかかっこよかったし。Powerbook100の軽さはいまだに他のノートを変えない理由の一つ。でも結局デスクトップに戻ってPower Mac G3 DT。これはずいぶんと使った。

衝撃だったのはiMacの5色カラー。きれいだったし、これで一般にもより知れ渡ったはず。直前のボンダイブルーやG3 B/Wでも使った半透明素材は、当時、パソコン周辺機器はもちろん、生活用品に至るまで、何を見ても半透明素材で作られ、先見性があると驚愕したものだ。

G4も最後まで粘ってOS 9起動可能の最終機であるG4 Dualを使用。これも長く使った。結局壊れてG5購入を余儀なくされ、G5 2GHz Dualを使用。そして、パワーが足りなくなり、現在のメインがカスタマイズIntel iMacだ。10台以上は買ったんだな...。

G4までは拡張性も優れていて、アクセラレーターもあったから、G5より早くして使っていたし、サードパーティもいっぱいあった。アメリカ行ったときにジャンクショップへ行ったらおバカグッズが山のようにあって楽しかった。昔のMacは遊び心があったし、プロっぽさがあったし、わくわくしていた気がする。

Macでたくさんの仕事もしてきたし、本当に私の人生を変えたものと言っても過言ではありません。

 

小型デバイス

さらにWindowsユーザーまでをも取り込んでしまったiPod。自分では未だに買っていない。友人からは誰からも「あんたが持つのにふさわしいのに、持っていないのはおかしい」とさえ言われる。

そもそも、私は自称音楽家であるが故に圧縮音楽には否定的です。ミックスなんか聞き出すと、やはり聞こえない音が出てくるから。また、それに慣れると耳が悪くなるから。今で言うiPod Classicなら160GBもあれば、圧縮しないAIFFを入れてとも考えたものの、所詮バッテリーが1日持たない。

未だに使っているCD Walkmanなんて、充電と電池を併用すると1ヶ月は持つし、いざとなればMP3も聞ける。iPodのどこに利点があるんだろ?大きさなんて鞄に入れれば同じだし。CD買いに行って帰りにすぐ聞けるんだぜ?まあ、それも世の中から消えようとしているので、困っているんだけど。

それでも一般的に広まったことは否めません。やはりこれも時代の流れを作ったAppleに歩があります。

 

Jobs氏の偉業

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iPhoneやiPadもそうだけど、日本のハード企業がAppleに勝てない理由はソフトの環境を整えないことにある。Appleの成功例は、たとえばiTune Storeによるユーザーへの提供があってはじめてiPodが売れるという図式が成り立っている。iPhoneにしてもiPadにしても、アプリや電書などのソフトありきで売れている。ここまでインフラを整えてハードを提供しているメーカーは他にない。しかもこれを一番にやるところがすごいわけだ。

だからたとえ自分で買うことはなくとも、その戦略、ハードの意義は賞賛に値すると思っている。いくら日本に技術があると言っても、ユーザーが必要とするソフトを作れない日本人にはトータルでの販売戦略なんか立てられるわけもない。ましてや縦割り社会の日本では、ハードだけ目立って相乗りでしかないから、負けるわけだ。

Jobs氏が、開発者であることは自らも認め得ているが、経営、販売戦略に及ぶまで口を出し、ユーザーが望む当たり前のことを具現化したにすぎない。しかし、それができないトップのなんと多いことか。安定や保守することに身を置くのではなく、「攻めながら守る」ことを実現して世を牽引してきた、偉大なる故人に哀悼の意を送ります。